7/29/17 Ravinia Concert & Picnic

7/29/17 Ravinia Concert & Picnic

 

Gardel/Williams:  Tango(“Por una cabeza”) from Scent of a Woman 

(この曲について一口メモに解説しておりますのでご参照ください。)

From “Cinema Serenade “(Williams/ Perlman) Pittsburgh Symphony Orchestra

 

クラシックと映画音楽の

 

 

7月29日(土)気温24℃。爽やかなピクニック日和に恵まれて、森林公園ラヴィニアに校友とそのファミリー計8名が集合。パブリオン前の一等地に陣取り、テーブルにクロスを掛け、カラフルなブーケの花瓶を置き、それぞれのポットラックとワインを並べて、さぁ〜乾杯! 昨年に比べて小規模ながらアットホームな雰囲気の中で寛いだ時間を過ごす。

郊外の澄んだ空気の中で「食とワインとお喋り」で全員満悦の体でいると、コンサート開始の鐘が鳴る。『えっ、これからコンサートあるんだね〜、』と一同苦笑い。集合からコンサート幕開けまでの三時間が、瞬時に過ぎて行きました。

当日のRavinia Festivalのプログラムは、クラシックとサウンド·トラックの2部構成。夏の宵にふさわしい華やかで叙情的な内容でした。

前半のクラシック編は、Antonin Dvorakの”Carnival Overture”とSymphony No. 8”。Dvorakは、交響曲第9番『新世界より』で広く一般に親しまれていますが、この交響曲第8番には、牧歌的で明るく自由なボヘミアの郷愁が漂っています。特に三楽章は全曲中最も有名で、その軽快なスラブ舞曲に思わず踊りだしたくなります。

後半は、Itzhak Perlman’s Cinema Serenadeと題し、1900年代の名作のサウンドトラック8曲をヴィルトゥーソPerlmanが演奏。そのバイオリンの美しくも魅惑的な音色に心が癒されましたが、演奏途中から”ジィージィージィー、”とセミの姦しい鳴き声が闖入したのは、興ざめというか愛嬌というか。。。野外コンサートならでのハプニングでした。

映画音楽の巨匠、John Williamsは、当日の演奏曲の中、3作品を作曲、残り5作品を編曲しています。これらの作品に共通するテーマは、Love(愛)であり、他の7曲の「男女の愛」に比して、”Schindler’s List”は、さしずめ「人類愛」ではないでしょうか。

名作の蔭には優れた音楽があり、その相乗効果が人を感動させます。Chicago Symphony Orchestraと名バイオリニストItzhak Perlmanの奏でる素晴らしい映画音楽に触れることで、映画の魅力を再認識するいい機会となりました。

2010年に当時の今村幹事長の音頭でスタートしたRavinia Concert & Picnicも今年で7回目となりました。ご協力頂きました校友の皆様に心よりお礼を申し上げます。

このファミリーイベントを中西部支部の伝統として今後も継続してまいりたいと思います。より多くの皆様のご参加を頂けるよう努めますので、どうか宜しくお願い致します。

<映画音楽一口メモ>

Por una cabeza, 英訳するとBy a head (of horse)ーーーーここで、競馬ファンの方は、思わずにんまりとなさることでしょう。頭一つの差で勝敗が決まってしまうホースレースのことですね。この作品は、1992年製作のアメリカ映画”Scent of a Woman”のテーマ音楽として使われています。Al Pacino演ずる盲目の退役軍人が瀟洒なホテルのボールルームで若く美しい女性とタンゴを踊るシーンにこの曲が流れています。その歌詞の内容は、競馬と女性が大好きという男の他愛もない話ですが、タンゴ曲として永く愛されています。ちなみに、Scent of a Womanとは香水の香りだそうです。

作曲は、アルゼンチン出身のCarlosGardel(1890-1935)。彼はタンゴ·シンガーソングライターとして一世を風靡しましたが、不幸にもツァー中の飛行機事故で死亡。また同乗していた作詞のAlfredo Le Peraも運命を共にすることに…

実は、この曲はSteven Spielberg監督の”Schindler’s List”(1993)のシーンにも登場しています。この映画のテーマ曲は、John Williams(b. 1931)が作曲、バイオリニストItzhak Perlmanが演奏。

イスラエル出身でユダヤ人の彼は、この作品を演奏することについて下記のようなコメントを述べています:

、、、and I felt that I could contribute simply by just knowing the history, and feeling the history, and indirectly actually being a victim of that history.”